2018年3月13日火曜日

イタリア建築学生と1か月間ワークショップしてみた感想


どうも。

建築巡りいったん中断して、ワークショップの感想など、メモ程度ですが、書いておきます。




イタリアワークショップについて


イタリアの建築学生(とはいっても22~25歳なので私たちより全然年上)10人を迎え入れ、イタリア人2人:日本人3人のグループ×5班で、3週間ほどの期間で敷地調査・議論・設計をするワークショップでした。

敷地は東京の某木密地域、敷地面積は1000㎡程度、用途は集合住宅(住宅以外の用途も必ずいれる)、でした。




イタリアと日本の居住環境・考え方の違い


講評後の懇親会でイタリア語も話せて彼らの文化をよく知る日本人の先生からうかがった話が面白かったので、記録しておきます。
(※が、細部まで覚えていなくて、大したことはかけなかったです、すみません)


日本の生活というのは、ご存知の通り、パブリックともプライベートともいえぬ、あいまいな領域(特に今回のような木密地域には特有の路地空間などでそれが顕著に表れてくる)が、人々の暮らしを豊かにする。
こういう考えが、まずある(他にもいろいろあるが)。

対して、イタリア(ヨーロッパ文化)の生活というのは、パブリックな空間は完全に外に存在し、プライベート空間(居住空間)は完璧なプライベートでなければならない
住宅に空く窓も、ぽつりぽつりと、とても小さいことからもわかる。

つまり、イタリアでは、外気に触れない生活、これこそが快適な居住空間なのだ。

こういう考えのもと、イタリア人が設計を行うと、こうなる。
ボリュームを立ち上げるという行為、これこそが設計であり、
・つまり、それは、明快に白黒をわけてしまう、ということでもあり、
・その操作を先にしてしまうことで、中間領域ということを考えたときに相当むずかしく(というより、不可能で)、それが障害となってしまう。



文化の壁を乗り越えた設計


このワークショップでは、私たち日本人がどうやってこの文化の違いを克服して設計していくか、ということが最大の難問であった。

例えば、(日本人同士のワークショップだとしても)こういうことが言えるだろう。

グリッドで設計することを考えたとする。
しかし、グリッド内にきれいに収めるということはあまりにもきれいすぎる。
それをどう崩して、どう緊張感をもたせるか。

また、ピロティの上は居住空間、下は公共空間と分離した考えであっても、それをどう崩して、どう緊張感をもたせるか。


を、常に考えなくてはならない。
建築が、ヨーロッパ的にならないために。
気持ち悪いくらい分かれた空間とならないように。



気持ち悪いくらい整頓された建築。
彼らにとってはそれが居心地の良い空間なのかもしれない。
逆に、日本的な住宅の在り方が、気持ち悪いと思っていたと思う。
話していて、強く、そう感じた。
でも、私たちにとってはそれが、いい


うーーん。難しーい。


今回のワークショップでは、時間がないせいもあったが、英語での意思疎通が難しいというよりもやはり文化の違いが最大の難関でした!
彼らとのワークショップを通して、私たちが常識的に、こういうのが家だよね、と感じていたことを、改めて再認識できたなーとおもいますね。

レポートみたくなってすみませんでした!笑

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